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サイタマビーチ

フリーライターの大坪ケムタの雑記とかイベントとかもろもろです。

レインメーカーをすごく考えてみた。

ここ数日、たまたまだろうが「レインメーカーがよくわかんないんだよねえ」というtwを自分の周りでいくつか見かけた。海外修行から今年の1.4東京ドームに凱旋、満場のブーイングを浴びるも、その一ヶ月後にはIWGP王座を奪い試合の評価も格段に上げていくと共に会場人気、ファンの支持もトップクラスにまで上げていった。それが「カネの雨を降らせる男」、"レインメーカー"ことオカダ・カズチカ。ベタな言葉でいえば「超新星」。それにしても例えば凱旋後の武藤やドームデビューの中邑に比べてもそのスピードは圧倒的、そしてファンの評価もかなり良好。実際会場に行くと「わ、マジで人気なんだな」と驚かされる。
 にしても、正直「なんでここまで?」というのは自分もないわけではない。ルックスはいいし、ドロップキックはまさに「銭が取れる」クラス。あと何戦か見てるうちにフィニッシュのレインメーカーという技の魅力に惹きつけられた。相手の腕を掴むという特性上、必ず最後がチェーンレスリング的展開になり「どこで決まるか?」「切り返すか?」という緊張感が自然と沸き起こる。「正面からでも使えるけど、返し技の方が光る」という意味では棚橋のスリングブレイドに近いけれど、より観客に緊張感を持たせる技に昇華されてると思える。
 と、要素だけを抜き出せば「いいレスラー」なのは間違いないんだけど…。それはこの半年に「なぜレインメーカーという祭りが起きたか」の答えにはなってない。一時はツイッターの人気ワードにもなったという「レインメーカー」。ただ「いい選手でした」、それに「団体のプッシュ」があったとしても現状の評価には繋がらない。その理由を考えてみた。

 やはり外せないのは全ての出発である「1.4東京ドームの低評価な凱旋試合」。あの時点では「おいおいこんな奴IWGP挑戦すんの?新日大丈夫か?」だったはず。あえてヤな言い方をすれば「すべった試合」だ。しかし、その後オカダは試合内容でグイグイ見せていき、IWGP戦は結果を納得させるだけの試合で勝利した。
 この流れを見て思い出すのが、昨年のイベントでプチ鹿島さんが言っていた「今の芸人はツッコミどころがないと愛されない」という話。その時は「今の有吉がそのトーク力だけで今の地位を築いたのか?」という話だったと覚えている。その時鹿島さんは「過去の猿岩石で『一度落ちてる』のを見てるから、どこか感情移入して優しく見てる部分もある」「新人でいきなりあの毒舌だけでは、いずれ叩かれてるだろう。今これだけ皆監視するようにテレビ見て、ツイッターに書き込んでるんだから」と述べた覚えがある。
 たしかに芸人は「面白い」だけで人気が出るわけではない。特にそんな優良芸人が「堕ちる」所を見たいという残酷さもあるのが今の視聴者の性質でもある。それもあってか、最近『アメトーーク』の「運動神経悪い芸人」「滑舌悪い芸人」のように、芸人側も「マイナスなツッコミ所」を積極的に用意しているように思える。最初は「でも運動神経悪いんだよねw」的な嘲笑かもしれないけれど、確実に腕がある芸人ならその評価はいつか覆せる。先に「同じ一般人」として感情移入させることでファンとなり、その後の成長を楽しめるというわけだ。
 正直、今のプロレスラーも「ツッコミ所」のある選手こそ愛される、とは前から思っていて、永田さんが愛されるのは「ミルコ・ヒョードル戦」があるからだし、棚橋が男にも支持されるのは「女性に刺された」という「ツッコミ所」があるからではないか。逆に、小島が選手として素晴らしい(IWGP&三冠同時チャンプだよ?)実績があるにも関わらず、コアなファンには支持が弱いのはツッコまれる部分が薄いからではないか。超人は愛されない。ちょっと常人の部分がある方が愛される。もちろん常人はヒョードルと戦えないが「大場所でのあの結果」は社会人はどこか浸みるものがあるはず。
 だから、オカダは先に「1.4」という「大いなるツッコミ所」を作ったのではないか。大きなツッコミ所を作ったことで、その後「あれ?意外とやるじゃん」と評価は相対的に上がっていく。もちろんそれは彼に腕があったから、だが。あのドームにいた者は「あの凱旋試合はね〜」と彼が活躍し続ける限り言うだろう。しかしその顔は間違いなくニヤニヤしている。

 それと、オカダの決めゼリフである「特にありません」。これ、正直いままでのプロレスで一番言っちゃいけない言葉だったと思う。だいたい試合後インタビューの締めは「次はブッ殺すぞ!」とかto be continuedな言葉を放ってドアの向こうへ消えていくのが定石。「プロレスラーも喋れなきゃダメ」というのが一般的になったこの10年の流れとは真逆、スポーツで「特にありません」て言っていいのは高校球児とかアマチュアの人だけだ。
 しかし、そこに自分は「ほつれ」のようなものをを見る。「ほつれ」、それはタマフル用語辞典を引用すれば「ある分野で大成した者が時折見せる"拙さ"を表現する言葉。『"アイドルの魅力"とは、完成度の高いものの中に、生身の女の子が見せる"ほつれ"。それが僕には最も美しく思える』という小西康陽氏の言葉から派生」。いい試合しちゃうし、ルックスもいい。でも喋りはあんまり上手くない(それは外道のマネージャーっぷりでさらに強調される)。そこに「可愛げ」みたいなものが発生している…と思えるのだけど。その佇まいは「完成されたプロ」てより「すごい高校球児」感といったが近い。24歳に言うことではないけども。

 そして最後に。今までのプロレスラーの見方は「過去があって今がある」が基本だった。現在進行形に加えて、過去の因縁をほじくりだして対立構図を作るのがマッチメイクの基本。それだけに過去に「あんな事があった」「こんな事があった」を育てるのが若手のうちにしか出来ない選手の仕事のひとつだといえる。しかし、オカダは8年もの選手としての歴史がありながらそこにフォーカスをあてられることはない。闘龍門というルーツもあれば新日入ってからもノアと対抗戦もあったし、さらにいえば邪道外道とは昔は対立していた。でもそれは「岡田かずちかの話」であり、オカダ・カズチカには何の関係もないように振る舞われている。
 だから、オカダ・カズチカには未来しかない。IWGPを取ってからのオカダは、内藤の「30歳前にIWGPを…」発言もあって若さを強調された。若くして、ルックスもよくて、技もキレがあって、でもちょっとマイクは苦手。ただそこに未来を感じる。正直これって、自分がアイドルを見る視点と近いわけですよ。まだ100点ではないけれど、この先何年も闘っていくであろうその姿には「希望」しか見えない。これまでのレスラーが「バックボーンが○○」「××がデビュー戦」という因縁や経験といった蓄積された過去のものからフィードバックして作っていく所が「ロック的」だとすると、オカダは実に「アイドル的」。先に書いた帰国後の武藤、ドームデビューの中邑も近いところあるけども、より今の時代の方が「推せる」のだと思う。「過去を通して現在を見る」のが今までのプロレスラーなら、「現在を通して未来を見る」のが今のオカダなのだと思う。

 ただ、今は未来しかないオカダもいつか「因縁話=過去からのプロレス」に繋がっていくのだけど。やっぱり、プロレスの基本はそこだから。それはアイドルだって10年もやれば、蓄積や経験を売りにするのが普通なわけだし。この前初めて見たBerryz工房なんかを見ても、ファンを見ただけで「歴史の厚み」を感じたもんなあ。
 もともと同じ「興業」であったアイドルとプロレス。どちらも昔ながらのテレビ中心にしながらライブを打つ時代から、ライブや物販に重点を起きながらもネットを活用し話題を拡張していく時代に変革している。最近ももいろクローバーZはじめ今のアイドルを「プロレス的」と言うことが少なくないけど、オカダカズチカは初めて生まれた「アイドル的(ルックスが、ではなく構造が)なプロレスラー」といえるのかもしれない。

でもこんな古式ゆかしい特訓シーンていいよね。アイドルも全員特訓シーンが見たい!

そして永田さんは過去のツッコミ所を越えた評価があるからこんなことも出来る。最高!「白目に新たなバリエーション誕生!? 永田裕志がテレ朝・下平&野上アナとまさかのアナウンス特訓!」

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