サイタマビーチ

フリーライター/イベンターの大坪ケムタの雑記とかイベント告知とかもろもろです。

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最終回から始まるもの−NEO女子プロレス解散興業『STAGE DOOR』

プロレスを知らない人へ雑に説明するとき「終わらない特撮番組みたいなもんだよ」という表現をよく使う。対立軸があり、ドラマがあり、闘いで決着をつける。正義の一枚岩のように見える戦隊側や防衛隊も個人的理由や人間関係で悩んでたりするけども、最終的に闘うことで毎回エンドマークを迎える。ただプロレスの場合、出演者たちは台本で動く「役」のようでそうではない。試合中の痛みや事故はすべて本当だし、リングで見られる成長は選手としてだけでなくひととしての成長をその者に与える。そして最終回がないからこそ、見る者はリングの上に絶えなくドラマを求め続ける。煽ってるのは自分の側ながら残酷なもんだ。
2010年最後に見ることになったプロレスはNEO女子プロレス解散興業『STAGE DOOR』。プロレス団体というとだいたいイザコザ込みで解散・分裂する事が多いだけに「最終興業」と銘打った大会を見ることは少ない。昨年のハッスルが典型だけども。今回一緒に見たクラタさんも解散興業を見るのはT2P(2003年)以来だと言っていた。主力選手3人の引退による団体縮小を継続不可能と見ての解散。たしかに残りの若手3人、そのうち一人は慢性的な怪我に泣かされ、さらに一人はデビュー半年、という陣容を見ても、興業は打ててもそれまでの「団体プロレス」は不可能。それだけにNEOという冠を下ろすのは多くのファンから見ても至極納得いくものだった。そしてそれは井上京子が旗揚げしたNEOレディース〜NEOという流れを見ても「全日本女子プロレス系団体の断絶」という言葉が浮かばないわけにはいかない。この年末、伊藤薫率いる伊藤道場もまた「発展的解消」しただけになおさらだ。
最終興業は宮崎有妃、タニーマウス、田村欣子という3選手の引退試合、しかも「NEOマシンガンズ解散試合」「宮崎有妃、タニーマウス引退試合」「田村欣子引退試合」「NEO解散試合」を一興業でやるという潔くも史上初のもの。そのトップバッターである「NEOマシンガンズ解散試合」宮崎&タニーvs植松寿絵&春山香代子は、序盤からリングに椅子を上げての張り合いに台車付き恥ずかし固め、頭上からタライ、セコンド陣の乱入ありと明るく楽しい展開。ただ、このコミカルな試合も地方巡業文化のたまものか…と、全女の歴史と絡めて考えてしまう。ただ最後は宮崎がムーンサルトフットスタンプという超エグ技。試合時間25分3秒、この後2つの「引退&解散試合」が待つ選手たちの長さじゃない。
全女的女子プロレスの明るさをNEOマシンガンズが見せたとしたら、圧倒的な強さと激しさを見せたのが「田村欣子引退試合田村欣子vs栗原あゆみ。黒とブルーのコスチュームがモビルスーツのようなストロングさを醸し出してる田村様はここまでシングル2冠を12度防衛。最初から栗原にゴツゴツしたエルボーを当てていく。エースクラッシャー、GUST、さらにマウントクックと多くの技を持つ彼女だけど、このどこからでも打てるエルボーこそが一番凄みを伝えてくる。あらためて彼女がアジャコングの遺伝子を継ぎ、裏拳に匹敵する技にまで昇華させたのが分かる。アイスリボンはじめ今年ずいぶん女子プロレスを見たけれど、田村様のエルボーにしか感じない言葉がある。それが「暴力」。アイスリボン、そしておそらくスターダムが競いあう2011年以降の女子プロレスには見あたらない、全女という「前世紀」にしかないロストバイオレンス。その暴力ゆえ彼女は大晦日まで12度ベルトを防衛してきたし、彼女に勝てる存在もまったく浮かばない。だが、それゆえに彼女のプロレスは2011年からの女子プロレスには不要なのだ。強すぎてドラマを生み出せない。その強さとそれゆえの切なさ、まるで三国志呂布のようだ。
しかし、この最終試合で栗原はその恐るべき「田村様の世界」に踏み込んだ。正直自分は栗原について試合をそんなに見てなかった&病み上がりというのもあり、それほど期待してなかった。しかし暴力的エルボーを喰らいまくり、ハードヒットな投げ技の数々を受けては返し続ける栗原。全女の遺伝子を持つ田村と、次の時代の女子プロレスを担う者として指名された栗原。この図式がある以上、栗原が勝つのが最後としてはもちろん美しい。しかし栗原が提示しなければいけないのは結果だけの「後継者」ではなく「後継者になる覚悟」。栗原はそれを十二分に理解し、フィニッシュ直前、田村様に後楽園中に響くヘッドバットを打ち込んだ。フルボリュームのマイクが床に落ちたかと思うほどの無骨な音、それは次世代のトップランナーが見せた極上の「暴力」。そのあとの裏投げ連続からのピンフォールは世代交代へのセレモニー。文句なしの田村様の世界の幕引きだった。おそらく2011年以降の女子プロレスは田村様、ひいては全女的な「暴力」から遠ざかっていくだろう。だからこそ田村様ではなく栗原がそれで締めたのが印象的だった。
プロレスは「終わらない特撮番組」のよう、と最初に書いた。しかし「最終回」を流すことで、さらに次の世界への希望と期待を見せたNEO解散興業。2010年にそれをやる意義と覚悟を示した内容は自分の中の今年ベスト興業。タイトルの『STAGE DOOR』はこの日を境にリングに向かう者、去る者を分ける場所、という意味だったのだろう。さらには新しいプロレスと古いプロレス。低迷と言われ続けた女子プロレスは底を打った。あとはもう新しいものしかないから楽しみ過ぎる!