サイタマビーチ

フリーライター/イベンターの大坪ケムタの雑記とかイベント告知とかもろもろです。

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最終回、でも終わらない マッスルハウス10

後楽園ホール「マッスルハウス10」へ。マッスル坂井引退&マッスル最終回…「残念」という気持ちはあるけども実はそれほど悲しくない自分もいる。特にマッスルでいえば、少し前から初期の「汁レスラー青春物語」的展開に無理が出てきていた(各自それなりの中堅レスラーになっただけに)のもあって、そろそろマッスルには一区切りして別の形になった方がいいんじゃないかなーと思ってただけに。それに同じ関心の持ち方が出来る団体として、興味がマッスルからアイスリボンに移行してるのもある。とはいえマッスルでしか見れないものがまだまだ多いのも確かで、その最後を見ない理由は全くない。
予想以上に「いつものマッスル」で始まった内容はダウンタウンもキン肉マンにもそれほど関心ない、むしろアンチ的な部分もある自分には多少入り込めない部分もあったけれど、菊池選手のリーサルウエポンっぷりには完敗。何やっても「顔が面白い」ってのにはかなわないわ。そんな前半はいつものバラエティとしてのマッスル、そして休憩明けから引退モードへ。
たまたまキン肉マン37巻読んでたのでぼんやり元ネタは見えてたとはいえ、坂井選手のマッスルメイツとのスパーリングはパロディでありながらもしみじみ涙腺にきた。たびたび例に出すのだけど「フィールドオブドリームス」の最後のキャッチボール、「東京ゾンビ」のフジオとミツオの最後の試合、あと今年冬に観たバトラーツ吉川選手引退試合での吉川vs3人でのしばき合い。キャッチボールやレスリングといったお互いの力量が分かるもので最後別れを言い合うってのはしみるものがある。言葉がなくても、力や技でお互いの過ごした時間を確かめ合える。ある意味ホモ的なものなんだろうけど。そしてこれはプロ過ぎるレスラーではここまでジワッと来ることはなかったと思う。たぶん。きっと。…もしかしたら長州力引退試合とかでも感動できんのかな?
ともかく、先に書いたとおり汁レスラー的な展開には無理が…と思ってただけに、最後に「就職・結婚・出産」という超・現実的キーワードが出てのマッスル最終回というのは「卒業」「夏休みの終わり」的な匂いを感じさせて納得できるエンドではあった。虚と実のコマを行ったりきたりしてきたマッスルは最後「現実」のコマで上がり。ただ、自分たちの幕を閉じただけでないのがさすがのマッスル。現実は鈴木みのるのように性格悪かったり恐ろしく強かったりするけれど、時にスローモーションに付き合うようないい部分もある。そしてそれでも戦わなければいけない理由が誰にでもある。それもまた悪くない。そんな希望や気力を見た人すべてに投げかけてのエンドマーク。マッスルの最終回は希望ある「俺たちの戦いはこれからだ」だった。ただしお話は「未完」。最終回はあっても、現実は続く。そしてそれは厳しくても決してつまらないものではない。そうマッスルは最後に現実と人生を我々に語った、気がする。その脇には面白い顔の菊池選手がいるんだけど。
ただ、ツイッターあたりのマッスル感想で見る「俺も結婚するぞ!」「子供作るぞ!」て空気はなんか違う気もするのだけど…現実の面倒さがスッ飛ばされてるようで。まあそれはそれで籍入れたり中出しした人はおめでとうございます。勢いは大事。
あと、マッスル最終回が悲しくない理由は最初に書いたとおりだけども、マッスル坂井引退がそれほど悲しくないというかピンと来ないのは、この人って自分の好きなモン作ってないとダメな人じゃん!としか思えないんだよな。10回も後楽園でやるほど創作の麻薬に浸かっちゃってるわけで。そんな人が創作を辞めるものか!そんな確信がある。本業は本業で継がなきゃいけないんだろうけど、それとは別に今後もプロレスとは違う形で何か自分のやりたいことを作っていくだろう。それはすべからく「マッスル」だ。だから、大丈夫。それでも物足りなきゃ自分でその現実をどうにかすりゃいい。


追記:後日、マッスルハウス10の感想を話してる時にスパーリングシーンの話になり、そこで自分が映画「レスラー」にそれほど感動できなかった理由がわかった気がした。アレって家族や彼女、客との関係性は書かれてるんだけど、他のレスラーとの関係性をほとんど描いてないんだよなあ。特にリング上での。「レスリングでなければ伝わらないもの」が希薄だったような。だからこそアレを見たレスラー以外の芸人やバンドマンにも感情移入させられるんだけども。仲間というキーワードでいえば「アンヴィル」の方がハッキリ描かれてるし、レスリングの意味なら「ガチボーイ」の方が優れて表現されてる。プロレスの本質やら魅力やら、は人それぞれだと思うけど、自分の場合は「生き様」よりも「仲間」なのだろう。