サイタマビーチ

フリーライター/イベンターの大坪ケムタの雑記とかイベント告知とかもろもろです。

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俺と言葉とアイスリボン

 アイスリボン、正確にはさくらえみ選手を最初に気にしたのはパッションレッド興業での高橋奈苗とのタイトル戦(09年5月3日)の記事を読んだ時だったと思う。試合中に高橋選手が受け身を失敗し、後頭部を強打。結果はさくら選手の勝利だが、明らかに「事故」で試合が終了してしまった。高橋選手の主催興業のメインイベントでの事故、さらに言えばこの日高橋がタイトルを防衛して2日後の後楽園大会で再防衛戦に挑むであろう、というのが周囲の一致する流れ。担架で運ばれる高橋選手と、リングに立つのはスッキリしない結末で新王者となったさくら。怪我の具合は? 2日後はどうなるのか? このまま興業は終わりなのか? キリキリと締め上げるような不安で騒然とする会場。その中でさくら選手はこんな言葉を観客に毅然と投げかけた。
「何があろうとこのリングから先に帰ったのは高橋奈苗であり、最後リングに立ってるのはさくらえみです。本日はありがとうございました。(後略)」(週プロモバイルより)
メインに出るクラスのレスラーは闘いの後に観客に語りかける言葉というのを試合前からある程度イメージしてるのかもしれない。しかし、完全なる突発事態にこの言葉を即断して言える選手はそうはいない。…まあ「騒然と」「毅然と」とかはあくまで想像だけども。その2日後のタイトル戦ではさくら選手は負けてしまい、「2日天下」という決してありがたくない結果になってしまう。しかしその数日の流れから自分の中ではさくら選手と彼女が率いるアイスリボンがグイグイ気になる存在になっていった。ちなみにそれまでのさくら選手というと、昔々IWAジャパンを観戦して売店でTシャツを買った際におつりを間違えられた可愛らしい女子選手、という以上の印象はほとんど無かったんだけどね、その時までは。
それからアイスリボンのHPからさくら選手のブログを過去から読み漁った。ずいぶんレスラーがやるブログも増えたけれど、それらとは全く違う文章の質。アイスリボンの所属する選手、自らが関わる選手に対する思いを一文字一文字糸を紡ぐような文章。おそらく女子プロは10年以上見てなかったのだけれど、行かなきゃ、という気が増していった。その後、アイスリボン男子版「ワラビー」観戦を経て、そして最初の後楽園大会で初観戦。それから昨日の3度目の後楽園大会まで、だいたい隔月くらいで見に行くように。毎週試合してる事を考えると決して多くはないんだろうけど、それでもアイスリボンが今一番面白い団体と胸を張って言える。ナンバーガールポツドールを最初に見聞きした時と同じ熱度で。
何が楽しいって、見れば見るほどこれまでのプロレスとの異質さ、もしくはプロレスの本質を考えさせられるのが楽しい。プロレス少女たちによるティーンエイジャーの輝き。スポーツ少女漫画的世界観。ネット時代ならではの日刊女子プロレス。極めて地下アイドル的な。マッスルのその先の日常と非日常を繋ぐプロレス。アイスリボンの魅力を表すような俺の言葉は、見に行くたびにぽろぽろと思いつくままにツイッターなんかで書いていった気がするけれど、その表現・例えでは「アイスリボンは高校野球」(NEO甲田社長ブログ)以上の言葉を思いつかないな。決してずば抜けた技術や肉体を見せるわけではないけども、成長途上だからこその選手の輝きを見れるプロレス。プロ野球は見なくても高校野球だけは関心が強い人がいるように、ここしか見ないという人がいてもおかしくない女子プロレス。その闘いはフレッシュでもあり、感傷的でもある。
ただ大一番である23日の後楽園の直前、さくら選手がところどころで残した言葉。これらが妙にひっかかった。
「結局何かを宣言するって凄く気持ちいいことなんですよ。だけど宣言したその先に、実際に何をしなきゃいけないか。」(『三田佐代子の猫耳アワー』より)
「華名が表紙になったことで、プロレスラーの評価基準が試合ではないということが明確になったと思うので。いくらでも言葉を残せばなれると。ただ、試合で実績を残していないのは、なんとなくレスラーとしての自分は腑に落ちなくて。」(『週刊プロレス10月6日号』より)
これらを読んで、そして自分が見るようになってからのアイスリボンを思い返してふと思った。ああ、さくらえみという人はとても「言葉」を大事にしている人だ。そしてそれと同時に言葉に対する「責任」を理解している。うっかり、ポロっと妙なことや「それやれんの?」て事を言ったりもするけれど、自分が言った事に対して、彼女はどんな形であろうとケリをつけてきた。しかもどんな団体よりも多い興業数をこなしながらも、前へ前へと。だからこそアイスリボンは信用して見れる。だから、そんな彼女が一番嫌う「口先だけ」になりかけた同志・米山選手を叱咤するために坊主にもなった。言葉と責任、それこそがさくらえみという選手のポリシー、美意識なのではないか。
23日の後楽園大会、後半の帯広vs米山、アイスvsセンダイイリミネーション、さくらvs里村の3戦すべてが全敗という「考えられる最悪の結果」であったけれど、会場は暗いエンディングにはならなかった。それはさくらえみ選手、そしてアイスリボンからこれまで放たれてきた言葉が信ずるに足るものだったから。中学1年生レスラー・りほのマイク「自分たちは絶対オマエたちを倒す!それはいつかって、3年後だ!」だって、ちょっと笑ったけど信じるに値する。あの日、あの会場にいる誰が「弱いからもう見ない」と思ったろうか。はじめに言葉ありき、そしていつかさくらえみ選手とアイスリボンは落とし前を付ける。そう信じてるからこそ。
さくら選手の自らの言葉に対する責任…自分の体重申告だけは別物だったりするのだけれど、それはまたべつのおはなし。