サイタマビーチ

フリーライター/イベンターの大坪ケムタの雑記とかイベント告知とかもろもろです。

フリーライター/イベンターの大坪ケムタの主にイベント告知とか雑記とかです。

どうも自分の解釈は陳腐で困る。『アルケミーの羊』

『月刊鶴岡法斎』でご一緒してる鶴岡さんが原作した『アルケミーの羊』(作画:張慶二郎)が完結した。といっても掲載誌がパチスロ漫画専門誌『パチスロパニック7』、しかも別冊→本誌→別冊という変則3号集中連載というハードルの高さ。それなりのコアな漫画読みにも届かないであろう漫画大陸の辺境なんだろうなあ。パチスロ土人の国。

過去一作だけ傑作を書いて以降、売れない(書けない)小説家を続けている成田優一。そのパチスロだけを打ち続ける日々に愛想を尽かし、その才を信じた女も家を出て行った。自殺すら考えた彼を引き留めたのがパチスロ。それも数日前からスロ店に入ると奇妙な症状が起きるようになった。店に入った時だけ強烈に感じる目眩や眠気・脱力感、それらは何故か勝つ台とタイミングを示してくれる。細々と勝ち続ける優一、しかしその度に訪れる症状に衰弱していく体。そんな時、勝つ台と同じ症状を表す女を見る−−。

あらすじの書き方によっては超能力パチスロ漫画(後半の『ゲームセンターあらし』みたいな)みたいに思えるかもしれないけども、別に主人公はイヤボーンの法則起こすわけでもなければ、大勝ちして彼女もゲットしてガッハッハ、という話でもない。全体を通底してるものといえば「頼りなさ」みたいなものか。主人公も逃げた女も後から現れた女も、それぞれに頼りない。
自分はギャンブルの中でもパチンコパチスロはさっぱりやらないのだけど、たぶん他人に頼る頻度が一番小さいギャンブルじゃないかなと思う。そしてリスクも全部自分におっ被ってくる。レース数も日程も決まった競馬や競輪なんかと違って、ハマれば毎日でも打てる。こういうと好きな人に悪いけれど、弱き者のギャンブルだなあ、という気がする。孤独で頼る肩もなく玉を注ぎ込め注ぎ込めと焦らされる。イヤだねえ、やりたくないねえ…でもそれだから成り立つ話なんじゃないのか、この話は。
そんな頼りない人のギャンブルだからこそ、最後の「パチスロを頼り合って打つ」という行為に意味を感じる。頼りなく、かぼそい線が一本に繋がる。それは「幸せ」と言ってしまっちゃ陳腐だし、ここで見せるエンドマークも非常に儚げな幸せである。アルケミー=錬金術の名のとおり誤魔化しかもしれない。でも、それは「パチンコで×万円勝ちました〜」って漫画や、金額の大小よりも確かな幸せなはず。
こう書くと要は「小さい幸せが一番」みたいな人情モノかよ?って感じだけど、そういうことです!でもそれをこうじんわりと説教くさくなく書けるのはスゲエですよ。