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サイタマビーチ

フリーライターの大坪ケムタの雑記とかイベントとかもろもろです。

『リングサイド〜プロレスから見えるアメリカ文化の真実』私的年表

毎度出演させていただいてる『月刊・鶴岡法斎』、次回12月3日はテーマが「プロレス」!まあ自分の好きなジャンルだし、なんか予習してってもいつもの展開を思うとYoutube見れる環境さえありゃ後はあんまり意味なさそうなので別に仕込んだりするつもりはないんですが、それとなくプロレスの歴史的知識は頭に入れておこうかなと。それも昭和新日がどーの、とか全日がどーの、とかじゃなくて「プロレスそのものの成り立ち」について。
やっぱプロレス初心者だったら、世間から「八百長」とか言われる部分に興味を覚えないわきゃないと思うんだよな。「なんで痛いの我慢して受けるの?」「なんでロープ振られると帰ってくるの?」「なんでリングに寝たままコーナー飛んでくる人待ってるの?」とかなんとか。それに対する答えは「見てるうちに自分でその答えをみつけるのも含めてプロレスの楽しみ方なんだよッ!キリッ」(「××はプロレスなんだよ!」って便利だね〜)と思うけど、初心者もいきなりそんなキレ方されても困る。ということで一応は理詰めというか史実として「なんで生まれたか」くらいは頭に入れててもいいんじゃないかと。ま、あくまで一説ですが。
ということで以前読んだ『リングサイド〜プロレスから見えるアメリカ文化の真実』(スコット・M・ビークマン著 早川書房 2008年刊)から「プロレスの仕組みとされてる部分」の一部を年表的にまとめてみた。年号の横に*がついてるのは、ハッキリ文中に○年、○世紀とは出てないけど文脈的にその辺だろうと判断して書いたもの。細かいところは実際の本をご覧下さいまし。
今年は『1985年のクラッシュ・ギャルズ』とか『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』といったプロレス関連本が話題になってるけど、『リングサイド』も同じくらい面白いですよ!この10余年の総合格闘技とプロレスの流れと、古のレスリングからプロレスへの変化の流れを重ね合わせたりして見るとなおさら楽しい。プロレスが好き、そして「プロレスについて考えることが好き」な人には間違いなくオススメです。
では↓年表はこちらから。

BC2500年
古代ギリシアの遺跡にレスリングについての記述あり。「ベルト・レスリング」という形式。ヘルモドルスというレスラーの名が刻まれる。
 
BC540年
古代ギリシアで最も有名なレスラー「クロトンのミロン」がオリンピア少年レスリングで優勝。その後ギリシア四大競技大祭で優勝。
 
BC648年*
第33回オリンピア競技大祭で「パンクラチオン」開催。スタンドレスリングより総合格闘技やプロレスに近い内容。
 
1世紀*
ローマでギリシアのレスリング・パンクラチオンが人気。スポーツから奴隷同士の見せ物へ変化。しかし戦闘馬車・剣闘士の人気により衰退していく。
 
15世紀*
ローマ帝国滅亡。ヨーロッパでレスリング人気は低下し田舎の娯楽に。町独自の地方チャンピオンが誕生。
 
ルネッサンスへの移行期(13世紀*)
レスリングの形式が整えられ、ヨーロッパ北部では最も人気のある「見るスポーツ」に。上流階級の前で御前試合が行われたり、酒場では賭け試合も。
 
ルネッサンス期まで(14~16世紀*)
地域ごとのスタイルが誕生。イギリスではコーンウォールの「ジャケット・レスリング」、ランカシャーの「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」など。
 
17世紀
イギリスからの移民により、アメリカでもレスリングが行われるように。上流・下流階級それぞれで人気。
 
18世紀後半〜19世紀初頭
アメリカ辺境部で「ラフ・アンド・タンブル」または「目玉えぐり」といわれるスタイルが人気。その後ルール修正版が広まり、その後19世紀末の「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」の基礎となる。
 
1830~1840年
アメリカに移民したアイルランド人が生んだ「カラー・アンド・エルボー」が南北戦争とその帰還兵により米国中に広まり、全米の主流に。その後全国チャンピオンが誕生。
 
19世紀後半*
新聞・週刊誌によるスポーツ記事競争。1845年創刊の「ポリス・ガゼット」がボクサーやレスラーの公開挑戦状を掲載し人気に。
 
18世紀後半*
ニューヨーク出身のカラー・アンド・エルボーレスラー、ジェームズ・ヒラム・マクラフリンが全国を巡業して試合を重ねる。
 
1840~50年代
フランスでレスリングの一スタイル「ラ・リュット・ア・マンズ・プラット」が流行。その後「グレコ・ローマン」の名でヨーロッパ大陸中に定着。
 
19世紀後半
「アメリカン・レスリングの父」ウイリアム・マルドゥーンがグレコ・ローマン王座に十年輝くなど、プロレスの流行に貢献。また「サーカス一座」や「アスレチックショー」として地方を回る「巡業」を始める。巡業の多くは毎晩同じ選手と内容を打ち合わせた「模範試合」が行われた。また地方からの挑戦者とのハンディキャップマッチなども受けた。
 
1867年
マクラフリン、公式記録として残されている最古のプロレスタイトル・アメリカ合衆国カラー・アンド・エルボー王座を獲得。
 
1870年
マクラフリン、デトロイトのトーナメント戦で優勝し、世界初の「チャンピオンベルト」が授与される。
 
1880年ごろ*
アメリカでもグレコ・ローマンが台頭し、カラー・アンド・エルボーは人気を落としていく。
 
1880年代後半
それまでグレコ・ローマンは試合が8時間に及ぶことも少なくなかったが、ウイリアム・マルドゥーンが時間制を導入。より巡業数・試合数を増やすことを可能に。
 
1887年
最初の偉大なキャッチ・レスラー、イバン”ストラングラー”ルイスがキャッチ・スタイルの王者を名乗る。必殺技はストラングルホールド
 
1895年
イバン・ルイスからマーティン”ファーマー”バーンズが全米ヘビー級ベルトを奪取。その後、ジム設立だけでなく通信教育を行うなどキャッチスタイルの普及と後進育成に尽力。最も有名な弟子がフランク・ゴッチ。
 
1890年代半ば
米国でも「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン=キャッチ・スタイル」台頭。本来のランカシャースタイルにラフ・アンド・タンブル、カラー・アンド・エルボー、日本の柔術の要素が取り入れられたもの。グレコ・ローマンと共に人気に。
 
19世紀末
カラー・アンド・エルボーの人気凋落に歯止めをかけるため、「ミックスド・スタイル」登場。キャッチ、カラー・アンド・エルボー、グレコ・ローマンのそれぞれで計3フォールを取った者を勝者とする。
 
1891年
イリアム・マルドゥーン引退。その後グレコ・ローマンはヨーロッパで人気を保つが、アメリカではキャッチ・スタイルが主流に。
 
1908年
世界ヘビー級王者「ロシアの獅子」ジョージ・ハッケンシュミットと全米キャッチ王者、フランク・ゴッチが対戦。「ヒーロー対悪者」的構図の萌芽とも思える。勝利したゴッチは国民的ヒーローに。
 
20世紀初頭
野球やボクシング・フットボールの台頭によりレスリング人気に陰りが見え始める。
 
~1950年代*
カーニバルやサーカスの巡業に「アスレチックショー(アットショー)」と呼ばれるレスラーやボクサー・怪力男の余興が必要とされ、多くのプロレスラーが出演した。地元住民が挑戦する形式が主流の当時、チャンピオンだけでなくさくら役のレスラーも帯同し一般客のふりをして挑戦、敗北する勝敗が決まった試合=「ワーク」が増えていく。
 
1910年
ハッケンシュミット対ゴッチ再戦。大々的キャンペーンにより史上最多の3万人の客を呼ぶも、ハッケンシュミットの不調による大凡戦がレスリング人気を低下させる要因に。またプロモーターのジャック・カーリーはその後のワーク時代に大きな役割を果たす。
 
1913年
フランク・ゴッチ引退。世界王者が空位となり、複数の者がチャンピオンを名乗る王者乱立の時代となる。
 
1917年
ボディーシザースを得意技とするジョー・ステッカーが正式な王者となり、王者乱立の時代が一応収拾する。彼がタイトル防衛戦で真剣勝負をした最後のチャンピオンと思われる。しかしその長時間でスローな試合に観衆は飽き始める。
 
1917年
NYマジソン・スクエア・ガーデンを本拠地とする北東部のプロモーター、ジャック・カーリーが全国的に有名なレスラーをNYに集めてトーナメントを開催。その後、自らプッシュするレスラーを王者にするなどして全米レスリング界制覇を目論む。
 
1920年代
州体育協会の制約などによりジャック・カーリーが失脚。その後、エド”ストラングラー”ルイス、そのマネージャーのサンドー、ジョー”トゥーツ”モントが「ワーク」をさらに活用し、観客がリターンマッチを望む展開やエンディングを生み出す「シナリオ」を発案。「ゴールド・ダスト・トリオ」と呼ばれるこの3人により場外カウントアウト、頭突きによる両者カウントアウト、時間切れドローなどが生み出される。
 
1925年
ゴールド・ダスト・トリオがプッシュする王者ウェイン”ビッグ”マンに「ジョバー(負け役)」であったスタニスラウス・ズビズコが真剣勝負で挑みタイトル奪取。プロレス史上もっとも有名な裏切りのひとつと呼ばれる。ズビズコは一時失脚したジャック・カーリーと結託。カーリー一派は地方プロモーター組織と結託した「トラスト」の中心メンバーになることで、レスリング業界を再び牛耳ることになる。その後80年代までテリトリー制は続くことに。
 
1920年代
トラストの描く通りの「ワーク」をするレスラー以外の「反トラスト派」はトラスト支配下のテリトリーから追われることになった。反トラスト派の有力レスラーの名声を落とすために、トラスト派は忠実で屈強なレスラー、通称「ポリスマン」を彼らにぶつけることで収拾に当たらせた。
 
1929年
トラストからボストン地区プロモーター、ポール・バウザーと結託したエド”ストラングラー”ルイスが裏切り、アメリカン・レスリング・アソシエーション(後のAWAとは別団体)を設立。その後トラスト系プロモーターはナショナル・レスリング・アソシエーション(NWA)を設立。再び王者分裂の時代となり、プロレス人気はまたも陰り始める。
 
1920年末
元フットボール選手であるAWA王者ガス・ソーネンバーグ、プロレス界初のセックス・シンボルと呼ばれ女性客や広告出演が殺到したNWA王者ジム・ロンドスが人気。それはリング上のテクニックと試合の信憑性が重要視されないようになった事でもある。プロモーターたちはレスラーに「キャラクター」をつけることを考えつき、「ベビーフェイス(善玉)」と「ヒール(悪玉)」の構造が一般化していく。
 
1930年代
トラストの再分裂、試合結果の暴露、自称チャンピオンの乱立により観客数は激減。
 
1935年
ルー・テーズデビュー。この後エンターテイメント主軸のギミック時代に突入するプロレス界の中で、徹底的にキャッチを学んだ最後の世代であり1950年代のテレビ黎明期までを第一線で活躍する。

リングサイド プロレスから見えるアメリカ文化の真実

リングサイド プロレスから見えるアメリカ文化の真実


とりあえず「キャッチスタイルのワーク」がある程度完成する第4章の1930年代まで。その後の「ギミック誕生以降」については気が向けばまとめるです。あ、こんなのまとめてるからって別に自分は「プロレス=ぜんぶ八百長派」とかではないので!シュマークとかスマートみたいなクソみたいな隠語も使わない!すべてが嘘にしては生々し過ぎるし、すべてが真実だとしたら怪しすぎる。そして見てる時はそういうこと全部忘れちゃうくらいに面白いのがプロレスだもの。

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