サイタマビーチ

フリーライターの大坪ケムタの雑記とかイベントとかもろもろです。

不条理イズビューティフル

この取材で初めて行って、妙な心地よさを覚えたのもあって川口オートにまた行ってきた。「ほら!元SMAPの森くんも出るから!」と誰に向けるでもない言い訳を思いつつ、一人で西川口の駅から無料バスに乗り込む。ビビりながら連複あたりで本命サイドに賭けてれば大負けはしないオートは、怖がりの自分には安心して遊べるギャンブル。ドゥルンドッドッドッ!!!という焼けたエンジン音も昂らせるし。そして何より揚げ物グルメがすばらしい。オートレースとプロレス定席の最寄り駅という西川口駅は裏通り系アラサーアラフォーそれ以上、の聖地だなあ。一昔前はこれにNK流があったんだから、もう日本じゃないよね。埼玉のマカオ。

ギャンブルといえば、ちょっと前だけどこのふたつはインパクトあったなあ。


本格的にズップリとギャンブルにハマったのは大学3年間の競馬くらい。それ以降はG1程度という離れっぷりだけど、あの時期があって良かったなあ‥と今は思う。ギャンブルの効用、特に競馬や麻雀のような運とか馬とか人の手の作用しない部分があるギャンブルをやることで気づかされる効用として「世の中の不条理を知る」ということがあると思う。
ネットでよく見かける「アンタに関係ないのに何でこんなに怒るの?」て人や、大いなる組織に対して服従するか陰謀論か、みたいな人たち。自らの道理に対してやたらめったら絶対的な人、というか。単に「叩きたい」とか「憂さ晴らし」程度の人もいるだろうが、潔癖なまでの人も中にはいる。そういう人たちは不条理に出会わぬままに生きてきたんだろうなあ、とぼんやり想像する。童貞の持つ潔癖さ、閉じこもり方に近いもんな。そのヘンに攻撃的なところとか。
自らが弾き続ける楽譜に不協和音が入るのを許さない。崩れるのが怖いから。というのはわからんでもないけども、自分の世界内だけだと面白みねーなー、というのもいずれ気づくようになる。自分がそれに多少なりとも気づかされたのはギャンブルで幾多の不条理を味あわされたからだ。ギャンブルとは、自分の考えた予想という「道理」に対してカネを賭ける世界。敗北は自らの道理の死、だ。もっと軽いもんでしょ?と思うだろうが、当時周りは土日のレースについて週のアタマ、月曜から『週刊競馬ブック』を読んで考え続けていた。森見登美彦の小説にも出してもらえないよなアホな学生生活だ。自分はまだ甘々な方だったけれども。
ギャンブルにおける不条理というと、まぁほとんどが「なんでここで負けるかな!」とか「差されるかね!」といった馬券絡みではあるけども、先のウォッカのような不条理な強さや感動を見せられることもある。そしてよき勝負さえ見せてもらえれば、決して予想もつかない事は悪いことではないということに気づく。いわゆるプライスレス。
知らん人を好きになるとか、裸になって性器を挿れるとか、生まれも育ちも違う人と一緒に住むとか、気づいたら血ィ半分同じ子供がいるとか。人生で大事と言われることは大体不条理。その辺の理屈を超えたところの面白さに気づくまで自分は30年以上かかったが、馬券を買ってなければもっとかかったかもしれない。そして今も見えない敵を打ちまくってたかもしれないなあ。

血統という不条理に鍛錬というこれ以上ない現実で立ち向かった通称「サイボーグ」。この馬がいたから競馬にハマったんだよなー。

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